第七間氷期

本や映画、ゲーム、英語学習、料理、プログラミングについて考えたことを表記する試験的なブログです。読み方は、だいななかんひょうきです。

思うところ

先日友人と会った。90年代生まれの女性2人。

 

2人は、子どもがほしいと思っていなかった。

 

かくいう自分も、子どもがほしいと思っていない。現実を考えて、経済的に無理であることを知っている。加えてさほど、子どもに興味がない。

 

この土地で子を生み、育てることができる人々は間違いなく減少している。しかし一方で子を生み、育てる者たちも居る。経済的に豊かな何の憂いもない家庭、そしてさほど豊かではないが子をほしいと強く願う家庭。

 

限られた家庭にのみ宿る生命。育った数少ない子どもたちが負担する数々の面倒を想像する。そこに己の意思で子を仲間入りさせようなど到底考えられない。

 

自分の世話さえもままならない。

 

ある程度の貯蓄ができ、それなりに語学を研磨したら別の国籍を取得する。

 

老人ばかりが運営する土地では、上手く将来を考えられないのだ。かといって老人が地面の下に居るころには、自分ももう立派な老人だ。待ってはいられない。

 

これらの観点から考えると、受注し始めたライティングという仕事はどうだろうか。ちょっとした稼ぎにはなる。続ければまあまあ生活できるだろう。しかし将来別の土地で、地球人として一から基盤を築こうとする者ならば、別の選択をしたい。

 

地球言語(大袈裟か?)であるプログラミング言語などが良い。プログラミングと語学をもっと真剣に学ぶ。別の土地でいきなり働ければ良いが、そうでなければ今一度学生に戻ろう。それからその土地で稼ぎ、納得して納税しよう。

12日の収益が0円になった【ライターことはじめ】

ライティングの仕事を受注し始めて2週間。受注したほうがいい仕事、そうでない仕事が少しずつわかってきた。言うまでもなく、個々人異なる指標である。

 

・文字単価1円以下の仕事は受けない

単純な話で、食っていけないからである。生活が保障されているのなら構わない。しかし、文筆家の端くれとして食べていきたいのなら、もっと他の仕事を探す方が良さそうだ。

 

書けば、書くほど貧しくなってしまう。可及的速やかに足を洗いたい。

 

・前金が良い

新参者で相場感や、応募からの流れもぼんやりとしかわかっていない。自分のような者が居たら伝えたい。雇われる側は弱く、可能な限り前金で仕事をしたいということを。

 

応募に際してテストがあるのは仕方がないだろう。実績のない初心者にとって、テストで評価してもらえるのはありがたい。ただ本番形式で記事をいくつも書かせ、かつ報酬を支払わない可能性がある場合は、立ち止まろう。

 

1日丸まる費やして得た収益がぱあになる。もちろん実績にもならない。(私は他ならぬ、2週間前の私に伝えたいのだ)

 

そういうわけで、現時点の避けたい案件を記しておいた。悩んだらここに立ち返る。

 

12日の4000円近い収益は上述の通りぱあとなった。

13日の収益は0円。神保町に赴いた。どこもかしこも人の少ない平日がいい。

これからのこと/本日の収益4000円くらい【ライターことはじめ】

ライターという仕事について考えていた。果たして、自分はどんな文章を書きたいのだろうか。

 

学生時代を思い出す。文学は自分にとって点と点を結ぶ作業だった。

 

点と点を結び、線を作る。複数の線から面を作る。面を組み合わせて立体を作る。(多くの場合、線を作る程度にしか至らなかった気がするが・・・・・・。)それは地味で、しかし面白い作業だった。

 

本を読む。コピー用紙と鉛筆を用意し、言葉を書いては○で囲む。連想ゲームのように、○を線で繋いでみたりする。レポートを書くときは、いつもマインドマップに近い形式の、よくわからない図ができた。

 

よくわからない図を元に、段落ごとに文章を作成した。できた段落を、あっちか?こっちか?と動かして、一番しっくりくる箇所にはめる。パズルみたいだ。

 

言葉とその組み合わせを選ぶのもパズルみたいだ。

 

そうしてできた文章は、このご時勢にどれだけの需要があるのだろうか。学者になる以外に道はないのか?

 

SEOライティングが求められる時代だ。工場で生み出されたかのような、均一な文章たちよ。私はこの世のことがちっともわからない。

 

眠くて頭が働かない。

 

さて、本日は4000円くらい稼いだ。

本日の収益2166円【ライターことはじめ】

ウェブメディアで働いている知人に現状を報告した。

 

「文字単価0.4円でアフィリエイトサイトの記事を作成しても、実績にはならない」

「文章力よりも専門性を高めたらどうか」

「どんなジャンルで書きたいのか」

「ライターになりたい人間は山ほど居る」

「現場主義だし、営業の必要がある」

 

と返ってきた。

 

基本的にひきこもりであることは譲れない。ただ、インタビューや取材のために外出することは厭わないし、仕事のための営業(得手不得手は触れないでおくれ)ならばしたいと考えていた。

 

「ライターになりたい人間は山ほど居る」とは至極もっともであろう。参入するために必要なものが少ない。まず、パソコンがあれば最低限の仕事はこなせるだろう。何ならスマートフォンだけでも可能だ。必要なものが少ないとは、参入のためのコストが抑えられるとも言える。少ないコストで参入できるのなら「やってみよう」と考える者が増えるのも頷ける。そして相場は・・・・・・。

 

書きたいジャンルは絞っていなかった。趣味と地続きであれば嬉しいと思ったが、そうでなくても良かったのだ。とにかく、自宅で利益を上げたいだけである。極力家から出たくない。だから、「文章力よりも専門性」とは盲点であった。

 

何故文章なのか、自分でも何を拠り所に決めたのかわからない。いや、わかるだろうか。褒められたことが文章しかなかった。それだけなのだ。だから、文章は最終的に編集者にリライトされるし、と言われると、ああ、そうだよなあ、と。その当然の事実にがっかりしてしまった。

 

どこに舵を切るべきかわからない。もっと失敗(方向転換)が許されればいいのになあ、などと考えつつ。

 

本日は2666円、稼ぎましたとさ。あと6000円は稼ぎたい。古書店街の喫茶店、時給1300円まで戻したい。時給を上げたい。

1文字0.6円で生活ができるか【ライターことはじめ】

久々の投稿と思いきや、なんて切実なタイトルなのだろうか。

 

無職になった。人には向き不向きがあるのだ。自分にはどうやら、勤務中の他者との雑談が向いていなかった。

 

雑談は、できる。できるのだ。四半世紀生きていれば、学習をする。

 

他者に興味を持っているふりをすること。少し眉を上げ、笑みを作り発声してみること。時に神妙な調子で問いかけること。問われたことを、こちらからも問うてみること。

 

これらのことに、辟易してしまった。

 

わかる、わかっている。それがコミュニケーションを円滑にするためのものだということが、わかっている。が。他者への興味がとことん低い自分には、その猿真似を続けることができなかった。(給料が上がるのなら喜んでやるが)

 

その他、かくかくしかじかあって晴れて?無職の身となった。さて、どうしたものか。

 

そうして、ランサーズやクラウドワークスに登録することとなった。

 

受けた依頼は趣味に関するもので、文字単価が0.4~0.6円だった。4000文字書いて、1600~2400円。準備と実際の執筆時間で割って時給400円程度だ。

 

記事は評価された(純粋に嬉しい)が、小遣い稼ぎにしかなっていないのが現状である。こうして、ひとはライターから遠ざかるのだと実感する。時給400円か~。

※2018/10/1現在最低賃金は時給761円、鹿児島県となっている

 

先達のライターさんが日々いくら稼いだかを記録していたので、自分も記録を残して置こう。

 

10/8 933円

 

年内に150,000円くらい稼ぎたいにゃ~。(壊れてしまった)

ポメラといっしょ

1年と2ヶ月。ポメラを引き出しに入れ、温めていた。およそ1年ごとに取り出しては、取り留めのない文章を書き連ねている。

 

このポメラは折りたたみ式で、型番はDM10。弾けるようなオレンジ色が目を引く。2015年の11月頃に文章を書いて生計を立てたいと伝えたところ、信頼のおける数少ない人がお下がりを与えてくれたのだった。


3年経ってその目標は目下別のものに代わり(決して消えて無くなった訳ではない)、ポメラは再びなんてことはない日常に埋もれていた。

 

ポメラポメラと言うが、ポメラを知らない方もあろう。ポメラはテプラ等の文房具で有名なKING JIMから発売されている。文章を記録する機能のみに絞った、希有な端末である。打鍵は軽快で、ぱちぱちと小気味良い音を生む。

 

ノートパソコンとは異なる。膝の上で長時間作業を進めても熱くなったりしない、ポメラは至って冷静である。無論インターネットは繋がらない。故に、調べ物の途中で誘惑に負け、ネットサーフィンをすることもない。ポメラとであれば、余計な集中や忍耐を要求されずに、作文に没頭できる。余分を削ぎ落とした潔い端末である。文房具が正しいのかもしれない。

 

文章を書く、それのみがポメラ。それこそがポメラ。尖っている。隙間産業と言うのだろうか。需要は局所的だ。しかしその魅力に取り憑かれた者は確かに居り、彼ら彼女らは「ポメラニアン」と呼ばれている。

 

ポメラを譲り受けて3年が経つ。「ポメラニアン」には到底遠いが、ブログを書き始めた私には親和性の高い機器となった。携帯性も申し分ない。数年前は疎遠であったが、今の自分には寄り添えるだろう。

 

ところでこのポメラであるが、かつてはさらさらとした肌触りの良い端末であった。しかし引き出しで温めていた時、それこそ文字通り温められ、塗装が粘りを持ち溶けてしまった。その為今やムラのある奇妙につるんとした手触りへ変貌した。当時は悲しみを覚えたものだが、今ではかえって愛着が沸いている。

 

他でもなく、このポメラどこでもいっしょ、でありたい。思考を書き留める人生の伴侶として末永く。

「私はやったんだあーっ!」

もう7月になったのか。

 

日が昇ってから沈むまで、起きてから眠るまでのどこかで意識が失われているのではないか。気がつけば1日が終わろうとしている。

 

何もかもが中途半端に散らかったまま、あるべき居所を見つけられず落ち着かないような、自己不全感にも似た感触が残留する。

 

「やり切る」感覚が乏しい。今に始まったことではないが、新しいことに着手するのは遅くない。しかし、ある到達点まで至る前に、いつの間にか忘れ見向きもしなくなっている。

 

以前まではこの現象を所謂「飽き性」と呼ばれるものだと捉えていた。ただ最近になって何やらそうではないようだと知った。(啓蒙+1)

 

どうやら壁にぶつかっていたらしい。問題と鉢合わせになったときに、すっと脇道を見つけるのが得意なのだ。無関係の脇道を。脇道に逸れてばかりではゴールには永遠に辿りつけない。

 

例えば学習中の単語帳の1週目は容易にできるが、2週目から動機があやふやになるということがある。1週目の自分を過信しすぎているのではないか。1週目でこれくらいはできるだろうとの根拠の無い自信が、無意識のうちに2週目の意欲を削いでいる。

 

あるいは購入したは良いがゲームのスタッフロールを見ていないだとか、小説のあとがき(私はこれが大好物であるが、感想を書きたいときは書いてから読むようにしている。物語とは別のご褒美のような感覚。メインの後のデザートの喜ばしさ。)を読めていないだとか。

 

問題は多岐にわたる。忙しいやら不慣れやら散漫やら運動不足やら云々かんぬん。

 

解決策としては「Aを行うにおいて、必ずしもまとまった時間を作る必要はない」点を肝に銘じておきたい。隙間時間で良いのだ。隙間時間で。ほんの5分やってみようで良い。何なら30秒でも良いではないか。腰が重いということも限りなく少なくなろう。

 

現に久々に書いている記事でさえ、「ほんの5分書いてみるか」で始めた。書きながら、35分が経過していることに驚くが。(遅筆にもほどがある)

 

もう1点。本日やることを紙に書き出す。至って古典的ではあるが実に効果的である。紙に書く気力も無いときは、美味しいものを食べてたっぷり寝る。1日を終わらせるのが勿体無い気持ちが起こっても夜更かしは避けたい。

 

BLOOD ECHOES RETRIEVED
 
ところで、イタリアのAmazonにBloodborne2が登録されたと聞いたが。本当か。デモンズのリメイクは案の定ガセであったが、今回はいかに。
 
「私はやりました、やりましたぞ!」を大切に。