「私はやったんだあーっ!」
もう7月になったのか。
日が昇ってから沈むまで、起きてから眠るまでのどこかで意識が失われているのではないか。気がつけば1日が終わろうとしている。
何もかもが中途半端に散らかったまま、あるべき居所を見つけられず落ち着かないような、自己不全感にも似た感触が残留する。
「やり切る」感覚が乏しい。今に始まったことではないが、新しいことに着手するのは遅くない。しかし、ある到達点まで至る前に、いつの間にか忘れ見向きもしなくなっている。
以前まではこの現象を所謂「飽き性」と呼ばれるものだと捉えていた。ただ最近になって何やらそうではないようだと知った。(啓蒙+1)
どうやら壁にぶつかっていたらしい。問題と鉢合わせになったときに、すっと脇道を見つけるのが得意なのだ。無関係の脇道を。脇道に逸れてばかりではゴールには永遠に辿りつけない。
例えば学習中の単語帳の1週目は容易にできるが、2週目から動機があやふやになるということがある。1週目の自分を過信しすぎているのではないか。1週目でこれくらいはできるだろうとの根拠の無い自信が、無意識のうちに2週目の意欲を削いでいる。
あるいは購入したは良いがゲームのスタッフロールを見ていないだとか、小説のあとがき(私はこれが大好物であるが、感想を書きたいときは書いてから読むようにしている。物語とは別のご褒美のような感覚。メインの後のデザートの喜ばしさ。)を読めていないだとか。
問題は多岐にわたる。忙しいやら不慣れやら散漫やら運動不足やら云々かんぬん。
解決策としては「Aを行うにおいて、必ずしもまとまった時間を作る必要はない」点を肝に銘じておきたい。隙間時間で良いのだ。隙間時間で。ほんの5分やってみようで良い。何なら30秒でも良いではないか。腰が重いということも限りなく少なくなろう。
現に久々に書いている記事でさえ、「ほんの5分書いてみるか」で始めた。書きながら、35分が経過していることに驚くが。(遅筆にもほどがある)
もう1点。本日やることを紙に書き出す。至って古典的ではあるが実に効果的である。紙に書く気力も無いときは、美味しいものを食べてたっぷり寝る。1日を終わらせるのが勿体無い気持ちが起こっても夜更かしは避けたい。